映画の家
東京フィルメックスの授賞式とクロージング上映を見てきました。
フィルメックスに来るとほっとする。映画美学校の特別講義でイザベル・ユペールさんや『ママと娼婦』のフランソワーズ・ルブランさんも「映画の家」という表現を使っていましたが、フィルメックスは通う者にとってはまさに映画の家のような場所。
映画と映画を愛する人々の集う場所。
今日は授賞式前にタレンツ・トーキョーのメイン講師で来日されていたマフマルバフ監督にお礼の挨拶をして、帰りには毎年会場で何度かお会いする映画上映の世界の大先輩と少しお茶もでき、いい締めくくりとなりました。
この大先輩とは、以前有楽町駅近くにあったHokuoでばったりお会いすることが多く、そのときにいろいろな話をしていたのですが、Hokuoが火災でなくなって以来そういう偶然がなくなっていました。大先輩には今私がいつも行くカフェのお話はしていたのですが、まだ行かれたことがないということで帰りにそのカフェに閉店10分前に滑り込みました。大先輩はいつも「お子さんが待っていらっしゃるのでは?」と心配してくださるのですが、娘ももう大学受験と答えると、時の経つ早さに驚かれていました。というのは、13年前に東京国際映画祭のコンペに選ばれた「心の羽根」の手伝いをしていたときに家族で東急本店の蕎麦屋で食事をしている際、その大先輩と偶然お会いしているので、まだうちの子どもたちが小さいイメージがあったのでしょう。
あれから13年。東京フィルメックスに通いだして今年で16年。今もこうして映画の家に入らせてもらっていることに対して、家族、映画でご縁のある方々に感謝。
自分用のメモとして;節目と感じる日
今日は、ある縁のカプセルというか実を噛み締めたような節目を感じさせられる日でした。
立ち上げから昨年まで自分も運営側で関わったイベントの10回目の本番に、今年から担当をはずれたので、初めて観客として参加しました。
最初にこのイベントの企画を聞いたのは、2007年の夏、転職直後のこと。前職で大変お世話になった方にご挨拶に伺った際のこと。その会社の社員でさそなかなかゆっくり話せないその方と、結果的に一時間近くお話をしました。その方が関わられていた国を挙げた総合コンテンツイベントの立ち上げの話にも当然なり、その中で話題に出てきたのが、今日10回目を迎えたイベント。そのときは「ああそうですか」とまったく他人事で話を聞いていたのですが、それから一週間ほど経って、会社でこのイベントに関わるから企画書を作れと言われ、どこまで関わるのかわからず、一つのフェスティバル全体の企画書を急遽作成(結局はそのイベントの一部分を請け負うだけだったが)。
立ち上げ時の首脳陣とイベント運営実務の責任者は10年間変わらず。私だけが10年目は観客としての参加となり寂しい気持ちもありますが、これも何かの節目。二、三年前に会議で提案したことが今回実現していて、ほんの少しは今年もこのイベントとの縁を本番中に感じることもできました。
イベントの帰りには、奇しくもこのイベントの企画を最初に伺ったその方や、前職の最初の上司とも再会できました。
こういう仕事の縁も、家族の支えがあってのこと。
これから家族のもとに感謝の気持ちを持って帰ります。
通勤途中に考えた感覚のトレーニング
『「疲れない 身体」をいっきに手に入れる本』を読んで刺激されて、今朝、混雑したターミナル駅の移動と混雑した山手線内でこんなことをしてみました。
混雑しているところでは人との距離感の保ち方が難しいので、自分の胴体の周りに伸縮自在な浮き輪のようなものを身に着けているとイメージしていると、人がぶつかってきても、その浮き輪がクッションとなって、自分の軸がずれず、苛々しなくなりました。
今日は、帰宅途中でこのあたりで時間切れとなりました。
https://t.co/TDdWZt0Lw5
「感覚のワーク」「情報を捉まえにいくのではなく、受け取る」若い頃、少し座禅(曹洞宗)をやっていたときの感覚が蘇ってきました。 https://t.co/BuK5QqjxwR
— T.Ikeda (@sophia605) 2016年10月5日
都知事選を控えて強く思うこと
都知事選挙を前日に控えて、久しぶりにブログにアップしようと思ったことがあります。
それは副知事について。
A候補には知事になってもらいたくないが、マック赤坂さんに入れてもA候補を利するだけなので、やはりB候補に入れるかと、明日の投票をどうするか悩んでいます。
都知事選でいつも思うのは、副知事について。アメリカ大統領選ならば、大統領候補者が副大統領候補を指名してセットで選挙の洗礼を受けますが、副知事は、「普通地方公共団体の長が議会の同意を得てこれを選任する。(地方自治法第162条)」という決まりになっています。本来は、都知事候補が指名して副知事の大半も、選挙で決めてほしいものです。
今回、誰が知事になるかで政権与党との関係は変わるでしょうが、誰がなっても結局議会の力関係が変わらないと知事に何ができるのか。そこを打破できる知恵と調整力と実行力をもった副知事を誰に指名するのか。そこが全く見えてきません。
スローガンのような公約はわかったから、それよりも副知事をだれにするか、そしてその人の過去の経歴、実績も明らかにしてほしい。そうすれば、我々都民は副知事候補の良し悪しも判断材料にして投票できるのですが。
地方自治法が今のままでも、流石に議会も、都民の信任を得た都副知事候補を簡単に議会で否決はできないでしょう。
家では半ば真面目に言っているのですが、マック赤坂、ドクター中松、大前研一氏など都知事元/現立候補者が副知事候補として都知事候補とタッグを組んで選挙戦に挑めばいいのにも思う選挙前日猛暑の昼下がりでした。
今回のパリの事件に接して
SNSが発達した現在、こういうテロと呼ばれる事件があると色々な方の色々な反応が目に入ってくるので、少し書いておこうと思います。
Amazonの今日のトップページは以下の形になっていました。
これをするなら、Amazon, Google, Facebook,報道機関が連帯して、世界中のテロ事件や武力攻撃を監視して、何か事件が起きた日にはその国の旗と場所を掲載してほしい。
そうすれば、国旗が掲載されない日は、少なくともそういう事件が報道機関が知る限りなかった日だと我々は心おだやかに暮らせます。
パリには知り合いも多いので今回の事件に心が傷みますが、それよりも我々が知らされていないところでどれだけの悲惨なことが起きているのか、それを知らないことにより心が傷みます。
今回は自分も自分の言葉で最低限何か書かなければと思い、昨日、今日といくつかFacebookに投稿しました。まとめる時間はないのですが、その投稿をそのままですが、以下にまとめました。
今回のような事件に対する報道、SNSでの反応に接するたびに思うことがあり、今回は自分の言葉で少し書いておこうと思い、昨日いくつか投稿しました。
自分に何ができるのか、何ができているのか自問自答する日々です。たとえば、先日の米軍の無人機攻撃による「ジハーディ・ジョン」殺害をほぼ確信という記事に対してどういう批判的報道がなされたのか?
「暴力の連鎖からは何も解決しない」と自分で書きながら、では、ハイテク化する軍事産業がなくなったら世界経済に(つまり自分たちの生活に間接的に)どういう影響があるのかについて無知な自分を恥じています。
何年か前に仕事で一度だけボンベイに行ったことがありますが、その時は、ショッピングセンターに入るにも手荷物検査がありました。それだけ、テロの危険性があるとともに、逆に警備員などの雇用もそこから生まれている等々、いろいろなことを考えました。
1980年代、パリで自分もいた事のある場所で爆弾テロが起きたり、1992、3年にロンドンのシティで爆弾テロがあったときには、そこから数キロ離れたところの大学院のフラットに住んでいたのですが、窓ガラスが揺れました。
今こそ、物事の本質を一人ひとりが試すことが問われているのではないかと思います。
ニュースフィード
暴力の連鎖により被害を受けた事件は欧米主要メディアで大きく報道されるが、欧米側の無人機等による報復としての殺害はどう報道されているのだろうか。こういう時代だからこそ、12月12日公開のモフセン・マフマルバフ監督のPresident(邦題:独裁者と小さな孫」)のエンディングに希望が